現金預け入れ機の故障は想定しておりません!
高額の振り込みをするために、銀行に行くことになり、通帳とハンコを持って出かけた。銀行に着くと受付ゲートがあり、通常の自動現金支払い機(ATM)ではできない案件を受けている。
要件を使え、ゲートの中に入り順番を待つが、自分の受付番号がなかなか回ってこない。どうやら私と同じようにATMではできない振り込みを必要とする顧客が多いようで、私の前には4〜5人の顧客が待っている様だった。
しばらく観察していると、このゲートの中にも特殊なATMがあり、それを二人の行員が担当している様だったが、不慣れなためなのかどうにも段取りが悪い。
行員に窓口対応で振り込みしたい旨伝えると、先週から窓口対応はしていないという回答だった。
それならば、ゲートの中になる振り込み機が故障した場合はどうするのかを聞くと、故障は想定していないという回答が返ってきた。
でも仮に故障したらどういう対応をするのかを再度聞いてみると、受付窓口で対応するという回答だ。
銀行という文化の中で、誰もこの状況に疑問を持っていないようだ。顧客が列をなしていても、こういうものだと思っているのだろう…何日も何ヶ月も何年も見続けているから、なんの疑問も持たなくなっているのかもしれない。銀行はそういうところ、つまり彼らの当たり前になっているのだろう。
ここには生産的な注意力があるのだろうか?
今回は銀行の例だけれど、これは銀行に限ったことではない。先の銀行でも誰かは問題を提起しているだろう。提起だけでなく提案だってしたことはあるだろう。でも残念ながら組織の「immunity(免疫力)」に駆逐されたのだろう。組織の当たり前を守ろうとする力にだ。
当然、問題を提示することで、提示者は自分自身が(恐怖心や恥ずかしさなどから)少なからず傷つくであろうことを知っています。なので、そこに共感を生み出す力があってはじめて、新たなアイデアが生まれ育つ事になる。
最近よく言われている「心理的安全性、安全の場」もその一つです。
でも、そこには組織ならではの壁がある。悪いことは考えたくない、内向的なメンバーの声(未だ起きていないことに対する大切な注意や考え)を封じてしまう、強力なグループダイナミクスが多くの組織に働いてしまうのです。
このような純粋培養されて組織や、成功を経験した組織では、外部の力が必要になるところだ。きちんとした良識と認識を兼ね備え、その場に忖度することなく物を言える力が求められている。日本において、同じような組織文化を持つ組織は多いだろう。茹でガエル化がそれに拍車をかけてもいる。分かっていてもまだ大丈夫!と決め込んでいる。いずれも気がついた時には遅かりし由良之助状態になるわけだが、最悪その歴史に幕を閉じることにもなりかねない。
では、この様にならないためには、どうすれば良いのだろう?
その1つの方法は、コミュニケーションの向きを変えてみることだ。どういうことかというと、各人が意見を交わすのではなく、その問題に対する問いかけをする方法だ。その問題(仮に「X」とする)Xの何がうまくいっているのか? 何がうまくいっていないのか? どうしてそうなのか? 仮にXがYだとしたら… XがYにならない(できない)理由に考えられることは?… 等々の問いかけを関係者全員で行ってみると、問題の本質が見えてくる。ある人の問いかけにさらに追加することで、関連した問いかけが、相乗的なビッグクエッションとして形成され、よくすれば全員の新たな気づきにつながることもある。
意見は個々人の経験や意識等の違いによる各種バイアスが影響し、兎角ハレーションやジレンマを誘発することが少なくないが、問いかけはほとんどの場合過去の経験や個人の資質に影響しない。多くの場合「今」を基本に考えるからだ。
現状を打破するためのブレイクスルーを求める場合には、まず問いかけることから始める必要がある。「質問の投げかけ」が持つ力の一部は、人の課題に対する見方を変え、ほとんどの人が抱える「行き詰まり感」を取り除くことにある。とは、MITのHal Gregersenの言葉だ。
一朝一夕に成果は求められないが、まさに「最良の答えは、最良の問いかけをすること」だと言えるだろう。
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