倫理リーダーを育てる(28)◉プライドとのせめぎ合い

#28

プライドとのせめぎ合い

プライドは「自尊心」とも訳され、用いられ方もその捉え方も様々だ。彼はプライドが高い、あいつは自尊心が高いからね.. などは褒め言葉としても用いられているが、卑下している(問題視した)場合にも使われてはいないだろうか。

このプライドは、倫理観を損ない、黄金律の実践に反する落とし穴だとは、あまり考えられないかもしれません。逆に私たちは、自分の仕事に誇りを持つようにと、若い頃から言われてきたのではないでしょうか。

自分の仕事に価値があるという意識を持つことは良いことです。自分ができることに自信を持つことも同様です。しかし、自分の価値を誇張して認識することは、大きな破壊をもたらします。前節#27の権力とも似ているところです。ジョン・ラスキン(19世紀の作家)は「プライドはすべての大きな間違いの根底にある」と言っています。

プライドは本質的に競争心を駆り立てる傾向があり、得票や試験の成績が高いこと、また所有することや人よりも多くを持つことにより、喜びを感じるよう、私たちの脳にプログラムされているようです。たぶん、比較することで、他の人よりも優れているという喜びを得ることができるように作られているのではないでしょうか。

人に勝つことに夢中になっている人が、自分がしてもらいたいように人に接することができるでしょうか?

誰よりも金持ちになる、頭が良くなる、容姿が良くなるという目標を持っている人は、その時点では自分自身と自分の利益にしか興味と関心がないのです。

「13の美徳」のベンジャミン・フランクリンも、「人間の自然な情熱の中で、プライドほど抑えるのが難しいものはないだろう」と述べています。13の美徳を全うできればできたで、私たちのプライドは目覚めてきます。プライドは、倫理観を損なうだけでなく、パフォーマンスを阻害する可能性があると言われています。誰の言葉か分かりませんが、「正直な人を騙すのは難しいかもしれないが、自分が賢いと思っている人を騙すのは簡単だ」という言葉も、確かに的を得ています。

なければ無いで問題ですが、時にありすぎるプライドは、冒頭に記した問題視されているプライドなのです。

ちょうど良いバランス感覚で、プライドを制御することが、人として求められているということでしょうか(つづく)