誰も教えてくれない時代に
年上の教えが役に立たない。上司も親も、誰も経験したことのない世界。いま私たちはそんな世界へのとば口にいるのかも知れない(ユヴァル・ノア・ハラリ)
その最初のパラダイムシフトとして、今迄のものの考え方や、認識の枠組み、規範といったものを改めざるを得無い状況。そんな状況に私たちを至らしめたも、それが、このコロナ危機ではないだろうか。
今迄のヴァイラスと違う、わずか数ヶ月で世界全体を機能不全に至らしめたヴァイラスだ。100年前にあったスペイン風邪を経験した人は、いまほとんど居無い。
その中で、わたしたちは、企業はどうすれば生き残れるのだろうか?。政府や組織のリーダーは打つ手をなくしている様に見える。国民に判断を委ねたり、行動の意思決定を委譲している(まるでデジャビューの様だ)
この様な状況では、何をどの様に誰が決定していくか、そんなマニュアルはもちろん無い。
パフォーマンスよろしく、カッコよく指示を出しても、フォロワーはついて来ない。
どうすればよいのだろう…
情報を見える化し、何が起きているかを、多くの関係者で共有する。そして方針に関する理由を明らかにした上で行動に移す。
レビューの期日を設定し、最適でない場合は、いち早く次のプランに変更する。勿論変更理由と次のプランを明らかにするだけではなく、エグジットプランをも同時に提示しなければならない。
リーダー不在の混沌とした状況には、求められるリーダーが必ず出てくるものだが、いま政府も企業も、その多くはリーダーが不在だ。いるのはマネージャー、管理者ばかりではないだろうか。だから情報の中から正しいものを選択し、方針決定することができ無い。
数日前、霞ヶ関の若手官僚の就業状況の過酷さが報じられていた。昔からM職というエリート官僚は、過酷な勤務もザラだとは聞いてたが、いまの状況は、制度設計が間に合わないことによる。その原因は明確な指示がなく、方針も軸も定まら無いことによるだろう。
過酷な環境が当たり前になり、そこに疑問を持たなくなる。そういうものだと思い始めると、それが組織の当たり前になるのだ。
記憶力はいいが頭が悪いのかもしれない、おバカな政治家に染まれば、官僚とて人間、おかしくもなる。
構想力、そして正義感と責任感をあわせ持つ政治家の仕事を、共に見ながら指示されなければ、育つものも育たないだろう。
これは勿論官僚に限ったことではない。年上や先輩たちの知恵が、役に立たない時代を迎えようとする中、誰も教えてくれないという前提では、フィクション(想像力)を用い周りのメンバーをインボルブして行かなければ、目標に到達でき無い。これを実現していくのがリーダーだ。それは時代が変われど変わることがない。